2007年9月26日水曜日

陳炳徳上将の総参謀長着任

十七期全人代を控え、人事異動が活発になってきてます。そんななか、総装備部長の陳炳徳上将が、二十一日の段階で総参謀長職を引き継いでいたことが明らかになりました。

二十一日の中共通信社「新華社」は「来邦したウガンダ軍司令官と中央軍事委員会委員・中国人民解放軍総参謀長の陳炳徳上将が会談した」と報じています。

各種情報をまとめますと、その他以下のことが判明しています。
総参謀長の梁光烈上将は、定年退役する曹剛川上将の後任として国防部長(国防相)に着任。
陳上将の後任の総装備部長には瀋陽軍区司令員の常万全上将が着任。

中共軍の四総部といわれる「総参謀部」「総政治部」「総後勤部」「総装備部」はそれぞれ軍全体を管轄し、それぞれ作戦情報、政治指導、後方任務、装備の調達・開発を担当していますが、軍令を司る総参謀長の職権は最大で、全部隊の指揮・編成を担任しています。

陳上将は前任者の梁光烈上将と同じく陸出身。
台灣侵攻を担任する南京軍区司令員上がりで、国内では「強硬派」として知られます。
国内世論は「総参謀長にタカ派が就任したことは喜ばしい」という空気です。

情報筋の予想では、十七大での中央軍事委員会は、
総参謀長・陳炳徳上将、総政治部主任・李継耐上将、総後勤部長・廖錫竜上将、総装備部部長・常万全中将、空軍司令員・許其亮上将、海軍司令員・呉勝利上将、第二砲兵司令員・靖志遠上将、になるだろうとのことです。これでいくと、新任は常万全中将のみです。

余談ですが、許其亮、呉勝利の両上将は最近売り出し中で羽振りがいいとのもっぱらの噂です。


陳炳徳上将の略歴
1941年7月生まれ。江蘇省南通出身。
1961年4月 人民解放軍に参加。
1962年3月 中共入党。179師団教官等を歴任、第60軍副司令員、陸軍第1集団軍副司令員兼参謀長、南昌陸軍学院院長などを歴任。
1993年2月 任 陸軍第1集団軍司令員
1993年12月 任 南京軍区参謀長
1996年1月 任 南京軍管区司令員。党委員副書記。
1999年12月 任 済南軍区司令員
2002年6月 上将。
2004年9月 任 中共中央軍事委員会委員、総装備部部長、党委員書記、有人宇宙飛行計画「神舟六号」の総指揮官。
2005年3月 任 中共中央軍事委員会委員、中華人民共和国中央軍事委員会委員、総装備部部長、党委員書記。中共第十五、十六回中央委員。

常万全中将の略歴
1968年11月、中共入党。
1968年3月、人民解放軍入隊。
1970年7月から第47軍師団司令部作訓科参謀。
1974年3月から第47軍司令部作訓処参謀。
1978年2月から蘭州軍区司令部作戦部二科参謀。
1978年9月から蘭州軍区司令部弁公室秘書科秘書。
1980年2月から第47軍司令部作訓処副処長。
1981年3月から第47軍司令部作訓処処長。
1983年5月から第47軍第140師団参謀長。
1985年9月から第140師団副師団長。
1985年9月から1987年7月まで陝西渭南師範専科学校で学ぶ。
1990年9月から蘭州軍区司令部作戦部長。
1992年2月から第21軍第61師団長。
1994年11月から第47集団軍参謀長。
1994年3月から1995年1月まで国防大学基本系で学ぶ。
1997年、少将。
1998年6月から国防大学戦役教研室主任。
2000年10月から第47集団軍軍長。
2002年1月から蘭州軍区参謀長。
2003年、中将。
2003年12月 任北京軍区参謀長。
2004年12月 任瀋陽軍区司令員。

⇒「大紀元」などは”軍から江澤民色が一掃された”との見方を示しています。